自然に触れられる静岡浅間神社
アガティス西草深から歩いて2分のところに浅間神社があります。その浅間神社は賎機山の麓にあります。この近所の人は賎機山のことを浅間山と呼びます。 今日は家族で浅間山の頂上まで登りました。山の中腹で見かけたたい大木ですが、枝ぶりが複雑で、ものすごくエネルギーを感じました。...
浅間山の上から臨済寺を望む
浅間神社から百段階段を登り、浅間山(賎機山)の頂上まで行くと、眼下に臨済寺が見える。初めて上から境内の中に伽藍配置の全容を見た。 車で行くとアガティス西草深やクラーク西草深から5分のところで門から、石段が見え奥行きが深く、どこまで境内が続くのだろうといった感じである。...
船井幸雄氏の書籍「本物の経営ノウハウ part2」を読んで
船井氏の著書「本物の経営ノウハウ Part2」に企業経営の第一目的は、教育性(人間性を引き出し高めること)の追求である。それが社会性の追及につながり、ひいては収益性追求につながってくるという内容だ。 経営者は、企業経営を通じて、その経営に携わり、あるいはその経営体から影響を...
アガティス西草深の町内は昭和44年まで御器屋町と言った。
安池家の現在の住所は静岡市葵区西草深町であるが、同じ場所がもともと静岡市御器屋町29番地という住居表示であった。(昭和44年4月1日に御器屋町が西草深町に合併され町名が消滅した。) 「静岡市町名の由来:昭和56年・著者鈴木雄蔵氏・㈱静岡谷島屋書店発行」を参考にして確認する。...
ご先祖様も襲撃にあった「米騒動」(大正7年の出来事)
私は父から、九代米雄は米騒動の時には、自分から廉価にて米の販売をするという看板を出したので、大きな被害はなかったと伝え聞いている。 「静岡中心街誌・編者:安本博氏・静岡中心街誌編集委員会・昭和49年11月3日発行」の書籍によると安池家も米騒動が静岡で起きた大正7年8月13日...
安池家八代 安池傳兵衛の記事
「慶喜邸を訪れた人々~徳川慶喜家扶日記より~」 羽衣出版に私のご先祖様である安池傳兵衛に関する記述を確認した。 この本は最後の将軍徳川慶喜、静岡での30年間の暮らしと 慶喜邸を訪れた人々の人物像を解明することを目的として前田匡一郎氏が編者となって発行されたようだ。...
京都大徳寺大仙院住職 尾関宗園氏の「今こそ出発点」について
京都大徳寺大仙院住職 尾関宗園氏の「今こそ出発点」について 私は、中学校の修学旅行で大仙院を訪れた。 その際、氏にお会いし模造紙位の大きさの紙に 下記の「今こそ出発点」の言葉が書かれたものを 購入し、末尾に為安池倫成様とご本人が記入していただいた。 ...
学生時代の所属したクラブ活動を振り返る
学生時代、京都の同志社大学に通い4年間、同志社グリークラブ(男声合唱団)に所属した。1904年創立の歴史のある合唱団で2004年に100周年を迎え、盛大に記念式典が行われた。我々が学生の頃は、部員が80名ほどいて、月曜日から土曜日まで練習があり、学生生活=グリークラブ一色と...
安池家のご先祖様が経営した「葵ホテル」
葵ホテルの記事を見つけたのは写真の書物「新聞にむる静岡県の100年」と言う書籍の中である。「葵ホテル」は15代将軍徳川慶喜が静岡市西草深町に住んでいた屋敷跡を買い受け、安池他数名の役員で運営し、日露戦争時、捕虜収容所として提供し、ロシア人捕虜のタバコの火で焼失し、安池家九代...
安池家 家法(大正5年6月作成)
安池家の家法が書庫の中に保管されており、それを読み返してみた。 家を繋いでいくための知恵と工夫が記載されていると感じると同時に 現代においても先祖の考え方を大切に引き継いで行かなければ ならないと強く感じた。 《 安池家 家法 》 (大正五年六月稿:九代安池米雄) 第一条...