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浅間山の上から臨済寺を望む

浅間神社から百段階段を登り、浅間山(賎機山)の頂上まで行くと、眼下に臨済寺が見える。初めて上から境内の中に伽藍配置の全容を見た。


車で行くとアガティス西草深やクラーク西草深から5分のところで門から、石段が見え奥行きが深く、どこまで境内が続くのだろうといった感じである。


臨済寺は徳川家康が幼名竹千代の時代に8歳で今川氏の人質としてこの寺に入り、当時今川氏の執権職にいた雪斎に兵法などその他学問・知識を学び、徳川三百年の礎となる戦略を身につけたいう人は多い。


方丈は今までに2回戦火にあい、1度目は永禄11年(1568)武田信玄により焼失し、元亀3年(1572)正親町天皇の勅命によって信玄が再建、2度目は天正10年(1582)徳川家康により焼失同年8月正親町天皇御内令により家康が再建したものが今日みる伽藍である。



その臨済寺が、私の住む西草深町から程近い場所にある。江戸時代三百年の仕組みはここで始まったと考えるとこの景色が感慨深いものである。

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