駿府にも薬園があった。(現在の長谷通り中央付近)
長谷通りのほぼ中間、静清信用金庫安東支店前に「駿府薬園址」の碑を見つけた。調べてみると、江戸幕府直営の薬草園であったそうで、規模は南北約70間、(120m)、東西60~80間(108m~144m)で、坪数4,285坪という広大なものであったらしい。徳川家康が駿府城在城のころ...
静岡市役所のドームっていい感じです。
静岡伊勢丹の屋上から周りの景色の中にひときわ目立つのが、静岡市役所の旧館だ。 調べてみると、この静岡市役所本館は昭和9年(1934年)建築家中村與資平の設計によって造られたスペイン風の造形が印象的な建物で、特に天井のドームは全体の建築費の21%を占めている。平成8年には国登...
静岡市の御器屋町の復活はあり得ないのか?
静岡市の御器屋町という町名が昭和44年4月1日から西草深町に併合されなくなった。 私が生まれたのは昭和40年5月なので私は御器屋町29番地で誕生し、私が3歳11ヵ月の時に住所が西草深町24番22号になったわけである。 御器屋町の歴史は古く慶長12年(1607年)徳川家康が駿...
山岡鉄舟と西郷隆盛の会談(駿府傳馬町)
友人から東京の歌舞伎座において「将軍江戸を去る」という演題のものを観劇してきたという知らせが届いた。 その中に「山岡・西郷の会談の場面があった」と聞き、それが駿府(静岡)での史実と言うことであり興味をもって家の中に或る書籍を探した。...
「感激の至情 楽土を拓く」安池家10代安池興男
清 里 物 語 (文章は河野陽子氏によるもの) 清里は、標高千二百メートルの高原です。 水はつめたく、空はひろく、はるかに富士山が浮かんで見えます。秋と冬が長く、最低気温はマイナス二十度にまで下がることがあります。 この八ヶ岳山麓の高原が清里と呼ばれるようになったのは、た...
平成20年の子どもの日
我が家の家紋は「抱き冥加」といいます。左右に冥加の葉が書かれた紋です。「丸に抱き冥加」ではないかと着物屋さんに言われたことがありますが、墓石や、お位牌にも抱き冥加の周りには丸で囲っていません。 子供が生まれてから5月には五月人形を飾っていました。長男の初節句の際には鯉のぼり...
明治時代の1,000円の価値は?
安池家の歴史を調べている際に新聞記事に掲載されている当時の貨幣価値が分らなくて、週刊朝日編の「値段史年表 明治 大正 昭和」「戦後値段史年表」という書物を購入し、白米の10Kgの標準価格(小売価格)の推移を表にし、平成12年の白米の金額に対してそれぞれの年の白米の価格が何倍...