学生時代の所属したクラブ活動を振り返る
学生時代、京都の同志社大学に通い4年間、同志社グリークラブ(男声合唱団)に所属した。1904年創立の歴史のある合唱団で2004年に100周年を迎え、盛大に記念式典が行われた。我々が学生の頃は、部員が80名ほどいて、月曜日から土曜日まで練習があり、学生生活=グリークラブ一色といった感じであった。今の私があるのは、色々な人に支えられ、色々な経験を積ませていただいた結果であるが、その割りと基礎の部分にこの合唱団での経験があるように思う。
高校生までは地元静岡で生まれ育ち、他府県での生活や親元を離れて暮らした経験はなく、大学に行く様になって、初めて京都西陣に下宿生活を経験し、全国から来ている友人たちとクラブ活動を通じ、苦楽を共にした思い出がよみがえる。私はクラブの中で東西四大学合唱連盟のマネージャーを担当していて仕事は、毎年行われる早稲田大学グリークラブ・慶応大学ワグネルソサィエティー男声合唱団・関西学院グリークラブと我が同志社グリークラブとのジョイントコンサートであり、6月初旬に開催される「東西四大学合唱演奏会」を成功させることであった。また、12月に行われる定期演奏会の渉外活動を通じて成功に導く為に努力した。
このクラブの良い事は、会社組織の縮図といった一面があることを振り返る。1年生は新入社員、2年生は仕事に慣れてきた働き盛り、3年生は、仕事の内容は熟知して中間管理職、4年生は会社でいえば役員レベルの経営陣となる。代表取締役社長は当クラブで言えば「幹事長」という役職があり、一切の責任をもって取り仕切る。私はさしずめ、取締役営業部長(東西四連担当)といった感じである。
このクラブを会社として想定すると社員が80人もいる会社なので、実社会で言えば、平均給与が500万円として、給料だけで年間4億円、人件費比率が40%として10億の年商の規模の会社となる。商品は、聴く人に感動を与える歌声であり、その商品開発や品質管理は指揮者やパートリーダーと言った技術系がこれを担当する。その販売や広報活動が私の担当であったので、会社でいえば営業部門となるわけだ。
学生時代にこんな社会に出る前のシュミレーッションをしているとは、まったく思っていなかったが、勉強よりもクラブ活動をしていた私が社会人となって、当時の経験が今でも自分の人間関係や仕事のやり方の基礎を創っているのは、有難いことだ。
そんな同志社グリークラブの部員数が私が卒業した当時と比較して激減し、毎年卒団と入部で入れ替わりがあるが、約30名で推移している。これを先ほどのように平均給与500万円、人件費比率40%で換算すると、年商3億7千500万円となる。年商10億、社員数80名の会社と、年商約4億、社員数30名の会社との規模の違いをどう見るかは別にして、時代の流れを感じると同時に、どのようにして会社(組織)を存続して行くかを考えると、非常に難しさを感じる。会社でいえば、外部顧客が演奏会に足を運んで聴きに着てくれるお客さんであり、内部顧客が部員である。
外部顧客も内部顧客もどちらも重要であるが、内部顧客の部員がいなくなることで部は廃部となってしまう。それでは内部顧客である部員の満足度をいかに上げていくか。学生のクラブ活動なので、会社のように社員満足度といっても、給料の水準を上げるのではなく、心の満たされ方の水準を上げることである。
そこで4年間の限られた時間をめいっぱい費やして悔いのない魅力をクラブ活動自体が持っているといった仕組み創りを今一度詳細に考える必要であるのではないか。現状のクラブの強み弱み、そして時代の要求、1から2年先、10年先を見据えた方向性、事業計画、予算管理、運営理念、運営目的、必達目標などを話し合い、その中に学生のやりがいをちりばめた仕組みがぎっしり詰まっている事がはずせない鍵となるだろう。
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